長屋の大切さ(承諾殺人考)

京都伏見の承諾殺人について,あるテレビ番組で見た内容を山田ぱぱぱさんが日記に書き留めてくださった.mixiの日記(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=180490964&owner_id=2431184)であったが,転載許可を快くいただいたので,以下に転載し,最後に少し考察したい.

                                                                                                                                                                                  • -

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=63324&media_id=4

京都の伏見で起こった事件です。
認知症の母親を息子が介護の末に殺した、というものなんですが、この事件には社会の闇が隠れていると思いました。

母子の二人暮らしで、その母親は認知症
すぐにどこかへ出歩こうとするし、食事もトイレもひとりでは侭ならない状態。
しかし、働かないと生活できません。
息子は母親をアパートに残して週6日仕事に出かけて、月18万円の収入を得て、それでなんとか生活していたそうです。

ところが、母親がアパートの外へ出歩き、警察に保護されるということがたびたび起こるようになり、息子は仕事をやめて母親の介護に専念することにします。

「介護に疲れたことはあったが、苦になったことはありません。母のことが大好きでしたから。」

裁判で息子はそう言ったそうです。
大好きな母親を殺さなければならないほど追い詰められてしまった原因は、公にもあると思います。

仕事を辞めて、得られる収入は月10万円の失業保険だけ。
それで大人2人が生活できると思いますか?
アパート暮らしですから家賃も払わなくてはいけないし、光熱費食費…大人2人が生活するにはあまりにも足りないことは誰の目にも明らかです。

しかし、生活保護の申請を3回しに行ったにも関わらず、まったく相手にしてもらえず、結局失業保険の10万円で数ヶ月生活することになったそうです。

母親の介護をしながらできる仕事を探しましたが、見つかることはなく、その結果、母親は1日2回の食事、息子は2日に1回の食事でなんとか生活して、とうとう失業保険も切れ、収入がなくなりました。

1月31日、アパートの家賃支払期日に息子は部屋を片付けて、部屋を出ました。

前の晩、息子は母に言いました。
「もう、あかんで。」
母は答えます。「あかんか。」
「生きたいか?」と息子が聞くと「生きたいなぁ。2人で一緒に生きたいなぁ。」と母からの答え。

朝、2人は四条河原町に出て、7000円の最後の所持金で観光し、伏見の桂川に帰ってきました。

そこで、息子は再び母に言いました。「もうお金ないしあかんわ。」
母は「あかんか。そうか。大丈夫や。あんたはわたしが殺したるから。」と。

そして息子は大好きな母の首に手をかけ絞め殺し、自分の首を包丁で切り腹部を刺しましたが、死ねずに通行人に発見されて終わります。


この事件は検察ですら「被告は心より母親を愛していた。それゆえの犯行で、同情の余地がある」と、まるで弁護人のようなことを裁判で述べたそうです。

わたしはこのニュースを昨日のとくだねで見て、すごく悲しくなりました。
2人で月10万の生活費しかなく、母親は1日2回の食事、息子は2日に1回の食事で「最低限度の生活」ができていると思いますか?
もっと公がしっかりしてくれていれば、こんな事件、おきずに済んだと思います。

こういう事件が起こらないように、公はもっと行動すべきではないんでしょうか。

                                                                                                                                                                                  • -

最初に読んだときは涙が溢れ身体が打ち震えた.
その後,気持ちが落ち着いてから,これ関連のニュースに注意するようにしてみると,真実はやっぱりよく分からなくなった.「息子」は努めて明るく振舞っていたので,行政や親戚はその深刻さに気がつかなかったという主張があったことや,失業保険が切れた後,再度生活保護申請をすれば通っていたのではないかと思ったりしたからだ.
真実は分からない.ひたすら悲しい.
ただ,現代日本の問題に一般化して考えられるところはあろう.老人孤独死の問題.ひきこもる若者の問題.利便性や合理性,プライバシーの追求が行き過ぎているのだと思う.個人と集団のバランスはどうあるべきか.長屋の良さを見直して,個室と長屋のバランス課題に目を向けるべきではないか,などなど,今こそ一人ひとりがしっかりと考えて欲しい.